昔からだけど、特に最近「なぜ、そんなに生き急ぐように活動するのか?」「もう少しゆっくりやれば?」「もっと地道に設計の勉強をすれば?」というようなことを良く言われる.
これはある意味、もっともな意見ではある.
しかし、僕はもう少し違う見方をしたいと思っているのも事実. 別に地道に活動するのを避けて派手にやろうとしているわけではなくて、学び方の問題だと捉えていただきたい.
学ぶということは究極的には情報のインプットではない. 常にアウトプットが伴っていないと「学ぶ」という行為は成立しないと思っている. 自分の中から吐き出された「もの」が現象化することによって、初めて「発見」があり、「発見」から何かを学んでいくのではないだろうか.
慶應大学の井庭崇が構想中である
「創造システム理論」(creative systems theory)はニクラス・ルーマンの社会システム理論を基に「創造」という事態の成立過程の説明を試みているが、ここで創造システムの要素を「発見」と捉え、思考していることは非常に示唆深い. そういう意味で「学び」は創造的な行為である. 人間の創造性が発見の連鎖であるならば、学びも発見の連続であるはずだ. ルーマンやオートポイエーシスが基になっているこの考えは頷ける点が多い気がする.
自分探しというものが流行っている. らしい...
若者のインド一人旅、フリーターの増加、自己啓発イベントの流行...既に「自分」という確固とした存在があり、今の自分は本当の自分ではない. ありのままの自分を求めたい、知りたい、自分は何者なのか. 本当の自分はどうやったら探せるのか、どうやったら本当の自分になれるのか. 今の多数の人が前提としている問いはこのようなものだろうか...
でも「本当の自分って本当にあるのだろうか」
速水健朗さんの「自分探しが止まらない」を読んだ. 社会的な状況からこのような事態を説明していてとても興味深かった.
自分探しが止まらない人は一度、荒川修作に会ってみたらいいんじゃないかと思っているw
色々すっきりするのではないだろうか...
金子郁容の「ボランティア-もうひとつの情報社会」という僕の好きな本がある. 今までの価値観では「情報」というものは「非公開」であることの方が価値が大きい場合があった. そのような意味で、情報は静的であることが多かったが、ボランティアの「つながりをつけるプロセス」に着目して、情報を「公開」していくことの意味が明らかにされている. 情報を動的なものとして捉える姿勢がそこにはある. ネットの出現によって、この傾向は加速しているはずである. ボランティアはまだネットが本格的に普及する以前に書かれた本である. そして、着地点は「個人」である. 同じ金子郁容の「コミュニティソリューション」という本はそのような意味で、情報の動的な性質によって変わる社会問題解決の手法について書いている. 「ボランティア」よりもう一歩先に論を進めたものになっている.
2つの本に通底する共通のものは情報の「動的」な性質に関する思考である. 常に発信していくことで現象化していくフィードバックがものを動かしていくという考え方である.
オートポイエーシスと言えば、マトゥラーナ/ヴァレラの「知恵の樹」というとっても面白い本がある. この本は
下西風澄に教えてもらった. 正しく、今まで考えてたことが様々な事例と比喩で鮮やかに綴られている. 一度は人生で読んでおくべき本のひとつな気がする.
さて、僕は生き急いでいるのだろうか...
ここでは、「ノー」と言ってみたい.
常に自分の周りで有効なフィードバックループを作り続けていきたい. その中で何かを学べる気がするし、自分を作り出していけると思っている. そのためには、絶えずアウトプットを出して現象化するものを評価していく姿勢が重要であると思う.
僕の周りの大学生は、自分の周りを「環境」と捉え、所与の条件の中で生きている人が多いと最近感じる. 状況は一時的な状況でしかない. その状況の中に入り込んで、フィードバックループを自分の周りで作って、状況を自分と共に変えていく「勇気」のある人はあまりいない. 学ぶには動き続けるしかない. 発信していくしかない. 例え未熟な状態であってもいい. 全力でやればいい. それには体力がいる. 自分が「完成」する時は一生ないw
さてさて、自分は「勇気」があるのか...
それはブログ(これもフィードバックの円環を作り出すツールではあるが)でではなく、これから外にでて、今日も活動していくことで明らかにしてみたい. では!!